第16回(2002.03.21更新)

伝説のゴシックホラー「魔人ドラキュラ」
ヴァンパイア映画の歴史 -その2-

1922年の元祖ドラキュラ映画「ノスフェラトゥ」から9年後の1931年、原作の正式な映画化権を獲得した1本のドラキュラ映画が米国ユニバーサル社で製作された。トッド・ブラウニング監督作品「魔人ドラキュラ」である。この映画に登場したべラ・ルゴシ演じる黒ケープに、黒スーツという正装した姿は、その後のドラキュラの姿として一般に認知される事となった。

当初、このドラキュラ役は、「ノートルダムのせむし男」(23年)、「オペラ座の怪人」(25年)等に出演し、主にサイレント映画で活躍した「千の顔を持つ男」と呼ばれた怪奇映画初のスター、ロン・チェイニーが演じる予定であった。しかし、1930年、47才で喉頭がんで急死してしまい「魔人ドラキュラ」への出演はならなかった。トッド・ブラウニング監督の「LONDON AFTER MIDNIGHT」(29年)*という吸血鬼を題材にした映画に出演していた事からの起用でもあったと思われる。この映画のフィルムは残念ながらいまだに所在不明のようだが、ロン・チェイニーが吸血鬼に変装(?)をしていると思われるスチールは残っており、それを見る限りでは、べラ・ルゴシのドラキュラ像とは違い、より怪奇色が強い。
*資料によると「LONDON AFTER MIDNIGHT」という映画は、ロンドン警察の刑事が、吸血鬼に変装して殺人事件の捜査をするという設定で、ロン・チェイニーのメイクは素晴らしいが、映画自体は平凡な作品であったらしい。「魔人ドラキュラ」米国盤DVD、特典映像ドキュメンタリー「ドラキュラへの道」にこのスチールは収録されている。

→原作でのドラキュラの容姿は、こちらをご覧ください。

原作者ブラム・ストーカーの考えていたドラキュラ像は、べラ・ルゴシが演じたもっとも一般的に認知されているドラキュラ像とは、かなりイメージが違う。むしろマックス・シュレックのノスフェラトゥや、ロン・チェイニーの吸血鬼メイクの方が近い。いかにべラ・ルゴシのドラキュラ像がオリジナリティに溢れ、強烈な影響を与えたか、という証拠でもある。

そもそもこの映画「魔人ドラキュラ」は、ブラム・ストーカーの原作を元に、ハミルトン・ディーンとジョン・ボルダーストーンにより脚色された舞台劇を、さらに映画用にギャレット・フォートが脚本を起こし映画化したものである。1924年イギリスにて初演後、1年間ロングランされるほどの人気を博し、1927年にニューヨークでも上演されたその舞台劇でドラキュラ伯爵役を演じていたのが、べラ・ルゴシであった。

べラ・ルゴシBela Lugosi(1882年-1956年)、本名べラ・ルゴシ・ブラスコ Be'la Ferenc Dezso Blasko は、ハンガリー出身の俳優であり、ロン・チェイニーの死によって、映画でもドラキュラ伯爵を演じる事となる。トッド・ブラウニング監督(1880年-1962年)とは、「The Thirteenth Chair」(29年)という映画に脇役として出演して依頼、2度目の顔合わせとなる。べラ・ルゴシ49歳、一世一代の当たり役ドラキュラ伯爵ではあったが、それゆえに晩年はつらい日々を送る事ともなるのだが…。ユニバーサル映画は、この「魔人ドラキュラ」の大ヒットにより、本格的に怪奇ホラー映画に力を入れるようになり、数々の名作古典ホラーを生んでいく事となる。

 
  ●DRACULA/米国盤DVD
75分・リージョンコード1・2001年8月28日
David J. Skalのコメンタリー、ドキュメンタリー「ドラキュラヘの道」、 劇場用予告編、スペイン版収録、ポスター&写真資料集、フィリップ・グラス作曲による新録音楽付(ドルビーステレオ)
 

トッド・ブラウニング監督は、当初予定していたドラキュラ伯爵役のロン・チェイニーの死にかなりのダメージを受け、このドラキュラ映画になかなか力が入らず、「メトロポリス」等の撮影で有名なドイツの名カメラマン、カール・フロイントが、あの伝説的なドラキュラ城でのルゴシ=ドラキュラ初登場シーンの演出をしたといわれている。
もともとが舞台劇であったために、じっくりと見せるもったいつけたような演出とゴシックホラーの原点ともいえる壮大な古城のセットが、なんともいえぬ重厚感を醸しだしている。
ホラー映画といってもほとんど刺激的なシーンはないが、べラ・ルゴシの貴族的で品は良いのだが、ときおり見せる、どこか邪悪で魔性をおびた(意地の悪そうな…)笑みと、ライティングによる不気味な眼のアップ、催眠術のような魔力で狙った獲物に覆い被さるといった、これぞドラキュラの原形といえる名シーンも多い。

トーキー初期の映画という事も音響効果もほとんどといってよいほど無いが(DVDには新録音の音楽特典付)、それがかえってハンガリー訛り*のゾクゾクするセリフ「I …am …dracula…」、「I never drink wine…」(私は、ワインを飲まない、飲むものは別にある…とでも言いたそうな名セリフ)を際立たせている。
*ドラキュラ城の舞台はルーマニアのトランシルヴァニア地方にあり、ハンガリーは隣国である。当時の観客はこのハンガリー訛りにリアリズムを感じたのだろう。

ドラキュラに操られるレンフィールドの狂人ぶりは、静かな映画の動的なアクセントとなっており、この重要な役を見事に演じたドワイト・フライも、かなりの評価を受けた。さらにドラキュラと宿敵ヘルシング教授との対決という、後のドラキュラ映画で最も見せ場となる構図もこの映画に見られる。

本米国盤DVDには、本編と同時にスペイン版の「魔人ドラキュラ」映像がフル収録されている。英語圏以外のマーケットを狙って、同じセットと脚本を使い製作された外国語版である。当時のハリウッドでは、よくあるケースだったようで、アメリカ版のスタッフが昼間撮影し夜から朝方にかけてスペイン版のスタッフが撮影をするというシステムであった。
スペイン版の監督はジョージ・メルフォード。ドラキュラを演じたのは、カルロス・ヴィリャリアスというべラ・ルゴシ似のスペインの俳優である。お互いが同じ脚本とセットを使い製作するが、演出が微妙に違い、かなり興味深い。
まず、ルゴシ版が、舞台劇のような演出で、カメラは決して大きくは動かないのに対し、スペイン版は、階段の途中で仁王立ちしているドラキュラにカメラが大きくズームインしていく。また、棺桶からも派手なスモークとともに現れる。シガレットケースの蓋裏の鏡に姿が写らないことを発見したヘルシング教授によって、ドラキュラの正体を見破られるシーンでは、シガレットケースを思わず素手で払いのけるルゴシ版だが、スペイン版では、持っていたステッキでおおげさに叩き割る。
総じて、スペイン版は動きの要素を加味しているようだ。それがルゴシ版との差別化を図ろうとしていたのか、単純にスペインというお国柄なのかは不明ではあるが、改めて見比べるとスペイン版のチープさとスペイン版ドラキュラ、カルロス・ヴィリャリアスの魅力の無さに気付く。
やはり、トッド・ブラウニング監督の重厚な演出と、邪悪さ漂うべラ・ルゴシの起用こそが、この作品に後世に残る永遠の命を与えたといってよいのだろう。
しかし、別アングルで撮影されたシーンも多く、DVDのマルチアングル機能のように違う角度からも見られるという「魔人ドラキュラ」スペイン版のその資料的価値は高い。

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●魔人ドラキュラ 国内盤LD

●魔人ドラキュラ/国内初盤LD
1986年パイオニアレーザーディスク株式会
※画像はボケ気味だがジャケットは素晴らしい。

●魔人ドラキュラ 国内盤LD

●魔人ドラキュラ/国内ニューマスター盤LD
1993年6月10日パイオニアLDCリリース/ユニバーサルホラー映画6作品オリジナル予告編集付
※新盤マスターは、DVDに負けず劣らずきれい。ぎらぎらしていない分上品な感じを受ける。初盤とも74分表記だが、特にカットされていないようなので、単純な表記違いと思われる。
※ジャケット裏にべラ・ルゴシは「女ドラキュラ」(36年)にも出演と記載されているが間違い。

→画像比較はこちら
●魔人ドラキュラ/国内盤DVD

●魔人ドラキュラ/国内盤DVD
1998年3月25日/75分/カルチュア・パブリッシャーズリリース
※マスター違いで画像悪い。冒頭のクレジットタイトルが一部差し替えられているが、DRACULAであるべきタイトルがDRACURAになっているNGフィルム版。これはこれで珍しいかも…。淀川長治の解説付。
淀川長治氏は、ニューヨークで上演されたドラキュラの舞台劇を見たとの事。まさか、初演という事は無いと思うが凄いキャリア…

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  同年31年のもう一つの怪奇ホラー映画の傑作「フランケンシュタイン」の当初の怪物役は、ドラキュラの大ヒットによりべラ・ルゴシが配役されていた。もともとは舞台劇で「ロミオとジュリエット」のロミオ役を演じた事もある2枚目俳優ルゴシには、素顔をメイクによって隠される、吼えるだけのセリフのない怪物役は耐えられなかったのか、これを拒否。これが、ユニバーサル社長と製作本部長を務めるカール・レムレ父子の逆鱗に触れたのか、その後、べラ・ルゴシはドラキュラ役も降板し、B級ホラー映画ばかりに出演する事となる。べラ・ルゴシの凋落ぶりは、かなり激しいものだったようだ。そして、フランケンシュタインは、あのボリス・カーロフが演じドラキュラと並ぶスターとなった。ちなみに、当時のユニバーサルホラー映画の怪奇スターで、素顔のままなのはべラ・ルゴシ=ドラキュラだけであった。

その後、ユニバーサルのドラキュラシリーズは「魔人ドラキュラ」後、「女ドラキュラ」(36年)DRACULA'S DAUGHTER/TV放送題:吸血鬼ドラキュラの娘、「夜の悪魔」(43年)SON OF DRACULA/TV放送題:吸血鬼ドラキュラの息子(ロン・チェイニーの息子がドラキュラ役)、「フランケンシュタインの屋敷」(44年)HOUSE OF FRANKENSTEIN 、「ドラキュラとせむし女」(45年)HOUSE OF DRACULA、「凸凹フランケンシュタイン」(48年)BUD ABBOTT AND LOU COSTELLO MEET FRANKENSTEIN(WOWOWでも放送済み)、と6作製作されたが、べラ・ルゴシが、ユニバーサル映画でドラキュラ役を演じたのは、「魔人ドラキュラ」と、その17年後のコメディ「凸凹フランケンシュタイン」の2作品のみである。ドラキュラ役者と呼ぶには、あまりにも意外であるが、それほど「魔人ドラキュラ」の印象が強かったのであろう。

56年、神経痛の病気治療によるモルヒネと鎮静剤の乱用による心臓発作で死去。ドラキュラのケープとともに葬られた。エド・ウッド監督の「Plan 9 from Outer Space」撮影中のことであった…。
ティム・バートン監督作品「エド・ウッド」(94年)では、このべラ・ルゴシ晩年のエピソードが、史上最低の映画監督と呼ばれたエド・ウッドとの暖かい交流とともに語られている。「魔人ドラキュラ」冒頭のタイトルバックの寂しげな白鳥の湖が、「エド・ウッド」で効果的に使われていたのが印象に残る。また、ヴァンパイア映画の秀作「フライトナイト」(85年)にも明らかにべラ・ルゴシがモデルの人物、ヴァンパイアキラー/ロディ・マクドウォールが登場する。

映画「エド・ウッド」エンディングの言葉…
「べラ・ルゴシは 103本の出演作に 名声を留めている。 現在関連作品の売上は カーロフをしのぐ」(2002.3.21)

 
次回ヴァンパイア映画の歴史-その3-へ続く いよいよあの怪人が登場…

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