第24回(2005.02.26更新)

クレージー・キャッツ アンソロジー 〜スーダラ節とニッポン無責任時代

●1960年代に活躍したスーパーコミックバンド、ハナ肇とクレージー・キャッツ

人はいかに自由人たれるかという哲学的な思想の下、当時29才の放送作家、青島幸男が作詞し、クレージー・キャッツとは元々のバンド仲間であったという萩原哲晶が、ジャズをベースに軽快なチンドンアレンジで作・編曲した伝説のコミックソングが「スーダラ節」だ。

作詞・青島幸男 作編曲・萩原哲晶
1961年8月20日
東芝音楽工業<JP-1300>
※オンマウスで実年行進曲!
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植木徹誠(三重県・常念寺住職、植木等の実父)は、「スーダラ節」の“わかっちゃいるけど、やめられねぇ”は人間の真理を突いている。これは親鸞の教えに通じるものでもある、と讃えた。また、かの大瀧詠一は、サラリーマンの本音を見事に歌ったクレージー・キャッツを、自分たちの気持ちをストレートに歌ったビートルズの精神そのままとして日本のビートルズと称した。

そして、「スーダラ節」リリースから約11か月後の1962年7月29日に公開されたサラリーマン喜劇映画が「ニッポン無責任時代」。 それまでにも何本かの、単なる企画物映画に出演していたクレージーだが、東宝にて製作された本作こそ正真正銘のクレージー映画第1作と呼ぶにふさわしい作品といえよう。

  「スーダラ節」「ドント節」「五万節」と立て続けにヒットをとばしていた植木等に眼をつけた東宝のプロデューサー、安達英三朗が企画。脚本は東宝文芸部の若手、田波靖男。そして、監督は、植木等演じる無責任男、平均(たいらひとし)の強烈な存在感を創りあげた伝説の人、古澤憲吾。
東宝の従来の家族会社的なサラリーマン喜劇を根底からひっくり返す、大胆かつ衝撃的な無責任魂を、スピーディかつダイナミックな演出で活写した古澤憲吾監督。
勤勉実直な日本人の倫理観からは、どれも不道徳とされている“無責任、C調、楽してもうける”といった事を“責任もたない、関係ない”とあっさりと肯定してしまった平均のアナーキーさに、世のサラリーマン達は仰天した。
そして「そうだ、俺は、なんで、こんな小さな事にクヨクヨしていたんだ…」とサラリーマン社会のしがらみに押しつぶされそうになっていたサラリーマン諸氏は、力や権力をものともしない平均の活躍に、喝采を贈った。
 

クレージー・フリークの大瀧詠一が言う<際限のない自由>のキケンな魅力というのは、この事である。 実際「ニッポン無責任時代」を見た翌日、会社へ大幅に遅刻して行き「まっ、かたい事抜きでいきましょうや…」とのたまってしまい、大目玉をくらった諸先輩方も、いたとかいないとか…。

そして、この無責任男の突き抜けたキャラクターは、植木等の一世一代の当たり役となり、名曲「スーダラ節」とともに永遠に語り継がれる事となる。また、この後9年の間に、30本の東宝クレージー映画と日本ポップス史に残る、幾多の名曲をうみだしていく原動力ともなっていくのであった。

しかし、人生とは不思議なものである。当の植木等は、この成功と名声の影で、スーダラと無責任男のイメージに後々まで悩まされ続ける事となるのだから…。

●「ニッポン無責任時代」
1962年7月29日公開
古沢憲吾監督作品
カラー/東宝スコープ/86分
 

ディック・ミネに憧れていた植木等は、「スーダラ節」の譜面を読み「この歌を唄ったら、俺の人生はおしまいだ…」と嘆き、レコーディングから逃げ回った。しかし、メンバーやスタッフの説得に折れ、渋々レコーディングに挑むが、植木等は、このレコーディングを、なんとたったの1回でササッと終わらせてしまったのだ。
スイスイ、ス〜ダララッタ〜という歌詞部分が、1番から3番まで微妙に違うのは即効性の強いアドリブ的な歌唱法の為だが、後の植木等の持ち味となる、あの笑いながら唄うという驚異的な歌唱法は、この時のなかば投げやりな気持ちが反映されたものであった。
そして、映画「ニッポン無責任時代」。初の主役である。自分なりの演技プランを披露しようとした植木等は、海軍航空隊パレンバン落下傘部隊に所属していたという、やたら威勢のいい監督(通称「パレさん」)に、いきなり怒鳴られた。
「君は大きな勘違いをしている!君が演じる平均という人物は、異常者だ!普通の人間じゃない、つまらん事はするな!」と。そして、演技の必然性や通常の人間の思考をまったく無視した不条理な演出で、ただただ勢いのある演技を植木等に求めたのである。植木等は困惑した。「これでいいのか…」と。
しかし、「スーダラ節」も「ニッポン無責任時代」も、植木等の思惑をよそに、どちらも大ヒット。植木等は、このスーダラで無責任なキャラという重いレッテルと、生涯付き合わされる事となってしまうのであった。

当時は、まだまだお笑いに対する認知度も低く、無責任男=植木等というレッテルそのまま、私生活でもあの調子なのだろうと、映画や歌の世界と現実の区別のつかない非常識な一部のファンのおかげで、植木等自身、かなりの迷惑を被ったようだ…。
そして、植木等自身、あの無責任男というキャラクターは、自分がもっとも嫌いとするタイプの人間であると、はっきりと語るようになり、世間が求めているものと自分がやりたい事のギャップに悩み続けた。

しかし、そんな植木等の悩みを知ってか知らずか、音楽をベースにした都会的でスマートな笑いと、社会風刺コントやサラリーマンコメディで人気を博したクレージー・キャッツは、日本の高度経済成長を象徴するかのように全速力で60年代を駆け抜けていくのであった。

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そして、60年代のテレビ、映画、舞台に、彼らが顔を出さない日はないと言われるほどの大活躍であったクレージー・キャッツも、1970年代頃からであろうか、弟分ともいえるドリフターズが、ドタバタ・ナンセンスギャグ路線で、テレビの前の子供達の人気者になっていくのと対照的に、徐々に人気に陰りがみえはじめ、メンバーそれぞれが個人活動に新たな活路を見出していく時期を迎える。
時代を象徴するお笑いの宿命で、これも時代の移り変わりではあるが、ドリフターズ、コント55号。そして、タモリ、たけし、さんまへと続くお笑い界のビッグスター達の、その後の活躍も、すべてクレージー・キャッツが創り出したものがベースになっているといっても過言ではない。

ハナ肇は、ドリフターズのメンバーの名付け親であり、デビュー当時のドリフターズに、クレージーのギャグを伝授。カトちゃんの十八番、酔っ払いの丸メガネ、ハゲチャビン親父は、植木等のステテコ、カンカン帽のチョビヒゲルックのアレンジであり、また、名曲「ウンジャラゲ」をカバーした志村けんの特異な音楽センスは、クレージー譲りでもある。「変なおじさん」もお呼びギャグのアレンジといえよう。
監督 (キントト映画)コント、貧乏(おかゆ)コント、タライ落ちや洗面器叩きのギャグなどは、今や、コントの古典として受け継がれている。
そして、人気者のバロメーターともいえる、生み出した流行語の数も半端ではない。伝説の「お呼びギャグ」を始め、「こりゃシャクだった」「わかっちゃいるけど、やめられねぇ」(スーダラ・ダンス)、「ハイ、それまでよ」、「なんでアル、アイデアル」(※洋傘のCF)、「この際カアちゃんと別れよう」(※大塚食品のボンシチューCF)、「アッと驚く、為五郎〜」(※ゲバゲバ90分)。また、「ハラホロヒレハレ」や谷啓の「ガチョーン」「ビローン」といった、意味不明だが、十分に意味のわかる?擬音語ギャグなどなど…。(※伝説のガチョンだが、「おとなの漫画」で、谷啓がガチョンを極めるために悩むサムライを演じたガチョン侍漫遊記というエピソードもあったらしいが、実にくだらなくて良い!)。
TV‐CMにも引っ張りだこで、なんと当時、植木等は、グループでサントリービール、単独でもキリンビールのTV-CMに出演していた。現在では、絶対に考えられない事だが、クレージー人気の凄さがわかるというものだ。
ハナ肇の銅像ギャグ、舌先ベロベロギャグ、放送コードにひっかかり、二度と見る事のできなくなった手ブルブルギャグ(シビレ節でも有名たが、こちらも放送コードにひっかかりアウト)、谷啓の「谷ダァ〜」(※「青島ダァ〜」の方が有名か?)、追い詰められて、泣き出したり、開き直ったりする、絶対絶命ギャグ(※ガチョンも絶対絶命ギャグの一種だが、これは、後に、ドリフの荒井注の「何、見てんだよ!」にアレンジされ受け継がれる)など、思い出すだけで笑えるギャグも数多い。
また、レーザーディスクのリリース予告編が楽しみだったタモリの「今夜は最高」は、クレージー・キャッツが出演していた伝説のTVバラエティ番組「シャボン玉ホリデー」の影響下にあるといっても良い。

 
● クレージーキャッツ メモリアル
1995年6月25日
東芝EMI<BVLL-520>
クレージー・キャッツが築き上げたダイナミックな笑いと至芸を集大成したクレージーキャッツTV番組版LD-BOXセット。TVバラエティ番組史を語る上でも欠かせない、超貴重なお宝映像が収録された、まさに永久保存版。ナンバリング付限定版(※4枚組で、それぞれ片面のみに収録。)
●Vol.1 ------------------------
1. 解説/2.「アッと驚く為五郎」〜シャボン玉ホリデー10周年だよ!/3. 解説/4.「シャボン玉ホリデー コントは楽しピーナッツ」(No.249)/5. 解説/6.「シャボン玉ホリデー どうなってんだピーナッツ」(No.215)
●Vol. 2 ------------------------
1. 解説/2.「植木等ショー」/3. 解説/4.「平凡歌のバースデーショー」
●Vol.3 -------------------------
1. 解説/2.「おとなの漫画」/ 3.「おとなの漫画」/4.「おとなの漫画」/5.「おとなの漫画」/6.「クレージーキャッツ結成(10周年コンサートPART-1)/7.解説/8.「クレージーキャッツ結成(10周年コンサートPART-2)
●Vol.4 -------------------------
1. 解説/2.「シャボン玉ホリデー タニーケイだよピーナッツ」(No.241)/3. 解説/4.「シャボン玉ホリデー 楽器で遊ぼうピーナッツ」/5. エンディング

1960年代は、まさにクレージー・キャッツの黄金時代。
「スーダラ節」「ドント節」「五万節」の連続ヒット。 そして、ほぼ時を同じく、テレビでは、1961年6月4日に放送開始され、後にテレビ創生期の伝説的バラエティ番組となる「シャボン玉ホリデー」や、1959年3月2日放送開始の時事風刺コント番組「おとなの漫画」などが、高視聴率を上げる。さらに、銀幕の世界では、東宝クレージー映画の大ヒット!レコード、テレビ、映画と、まさにクレージー・キャッツの黄金時代が幕を開ける事となる。

Vol. 1とVol.4に収録の「シャボン玉ホリデー」は、モノクロ映像だが、犬塚弘の牛乳石鹸の生CMも含めたまるごと4本がノーカット完全版で収録されている。また、Vol. 4に収録のTVバラエティ史に残る傑作といわれている「シャボン玉ホリデー 楽器で遊ぼうピーナッツ」の生CM前までは、貴重なカラー映像で収録。シンプルだが、とても40年以上も前の番組には見えない垢抜けた映像だ。
布施明が唄い、「キャ〜!ふせさ〜ん」と悲鳴が上がる中、フセ〜、フセ〜と植木等が戦争スタイルで登場する、もう、おわかりの「お呼びギャグ」や、谷啓の顔面キズだらけのギャングのボスコント、ピーナッツに肘鉄食らわされて、歯をむきだすハナ肇のエンディングなど、オジサン世代には、涙もんの映像だ。小松政夫(植木等の付人兼運転手だった)やなべおさみ、構成作家でもある青島幸男などのテンポよいコントは、今見ても十分に笑える。
ボーナストラックとして、「おとっつぁん、おかゆができたわよ」のキントト(監督)映画コントが、カラー映像でフル収録。なべおさみの「ヤスダ〜ッ」と、メガホンでボカボカ殴られる安田伸の助監督の映像も見られるのだ(この監督コントは、映画「ホラ吹き太閤記」に出演した青島幸男が、古澤憲吾監督を見て思いついたコント)。

Vol. 2には、「植木等ショー」(1967年7月6日放送開始)、「平凡歌のバースデーショー」(番組中、植木等がメンバーとともに、ゴマスリ行進曲を歌うが、「ごますり音頭」と間違えたテロップがでる)。
Vol. 3には、生放送という一発勝負の中で、数々の逸話を残す、時事風刺コント番組「おとなの漫画」(月〜金曜の12:50〜55までの5分間の生放送の帯番組として全1835回放送)が収録。
また、東京宝塚劇場で開かれた「クレージーキャッツ結成(10周年コンサート」のテレビ中継映像も収録。「どうもどうも…」の高橋圭三のメンバー紹介により、それぞれが、パートの楽器のソロを披露するという趣向も見られ、かなり場慣れした味のある演奏を見せる。
谷啓構成による不滅の名作音楽コント「証城寺の狸囃子」がフル収録されているのも凄い。実際に生演奏をしながら、コントを繰りひろげるクレージーだが、やはり音楽あってのクレージーという事がよくわかる素晴らしさだ。音楽と笑いのエンターテイナーという事からいえば、彼らを超えるグループは、日本では未だに登場していないと断言できる。

当時はVTRが無く、生放送中のテレビモニターをそのまま16mmフィルムカメラで撮影したキネコ保存の為、画質うんぬんという次元の映像ではないが、モニターの下部に、糸クズがちろちろと写り、しばらくして上部へスーッと流れて消えて行くという、昔懐かしい現象も見られる…。
「シャボン玉ホリデー」は日本テレビ系、「植木等ショー」はTBS系、「おとなの漫画」はフジテレビ系だが、解説書にも記載のあるように、「各テレビ局のライブラリーに残存する素材の中より、最高の作品を選び出した4時間」というのも納得の内容だが、ジャケット及び解説書に写真が1点も掲載されていないのは煩雑な権利関係の為だろうか…。
メインのザ・ピーナッツの他、布施明、寺内タケシとブルージーンズ、中尾ミエ、田辺靖雄、伊東ゆかり、ジャッキー吉川とブルーコメッツ、奥村チヨ、和田弘とマヒナスターズ、ダークダックス、フォーメイツ、スリーファンキーズなど、昭和を代表する懐かしいスターも勢ぞろいだが、DVD化における最大の障害は、これら出演者達と各テレビ局、さらには脚本家、音楽家らの権利をひとつひとつクリアにしなければならないという事であろうか…。

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1986年には、結成30周年を記念し、大瀧詠一・作編曲、青島幸男・作詞、故萩原哲晶・原編曲のオリジナルシングル「実年行進曲」がリリース。実質的にクレージー・キャッツのメンバーが揃った最後のレコーディングとなってしまったのは残念だが、大瀧詠一責任編集のベスト盤、ほぼ同時期に東宝ビデオよりアンソロジー的ビデオもリリースされ、新めて、クレージー・キャッツの魅力の虜になった者も数多い。

そして1989年、JR東海の東海道新幹線のCFキャラクターとして、久し振りに揃ったクレージー・キャッツだったが、その中に、植木等の姿はなかった。この頃、植木等は、クレージー・キャッツの一員としての仕事は、とてもできない状態にあったとの事であるが、自分の本当のキャラとは違う「無責任男」という呪縛の奥深さを物語るエピソードでもある。
しかし、1990年11月突然吹っ切れたように、再びスーダラ伝説でよみがえった植木等。二転三転して、ようやく心の整理がついたのか、同年の紅白歌合戦にも出場し、歌手別視聴率で最高の56.5%を獲得するなど、そのパワーは以前にも増してのものであった(※昨2004年12月29日NHK-BS「思い出の紅白」で再放送されてました…)。

そして、悲劇は突然おそった。1993年9月10日、ハナ肇死去。
植木等の号泣しながらの解散宣言には目頭が熱くなった…。
クレージー・キャッツのリーダーとして、「しっかりとした裾野があるから、きれいな頂上がある。華のある植木を頂上にして、リーダーは裾野でいい。全員が頂上だとひっくり返ってしまう。」という持論の元、渡辺プロ社長、渡辺晋とともに、常にクレージーの進むべき道を決めていたハナ肇だったが、ジョン・レノンが死去した時点でビートルズが二度と再結成できなくなったように、クレージー・キャッツもハナ肇の死去により、その輝ける歴史に永遠にピリオドをうったといえよう。
そして、後を追うように1994年6月22日に石橋エータローが、1996年11月5日に安田伸が帰らぬ人となった … が、

植木等は、今も現役バリバリである…。
(2007年3月27日 植木等さん、逝く。謹んでご冥福をお祈り致します。)

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