第19回(2003.01.27更新)

熱きキャロルを今語る!矢沢永吉率いる伝説の「キャロル」エピソード!

スペシャルDVD付 キャロル/ザ★ベスト! 日比谷野外音楽堂ラストライブDVD!
初回出荷30万枚というセールスを記録したベストアルバム。初日だけで約7万枚のセールスを記録した日比谷野音でのラストライブDVD。おそらくそのほとんどが初回特典スペシャルDVDと、ラストライブDVDにボーナス特典として収録されている当時のライブ映像が目当てであろうが、とても28年前に解散したバンドとは思えない勢いだ。

というわけで、今回のコラムは
熱きキャロルを今語る!矢沢永吉率いる伝説の「キャロル」エピソード!
●キャロル/ザ★ベスト
2003年1月22日ノイズエラー回収盤/1月31日正規盤 ユニバーサル ミュージック リリース
初回プレス限定特典:スペシャルDVD 付
★新作プロモーション・ビデオ・クリップ「ファンキー・モンキー・ベイビー」
★1974年TVK(テレビ神奈川)ヤングインパルス「ルイジアンナ」ライブ映像 
※ジョニー大倉失踪中のため3人キャロルバージョン
●燃えつきるキャロル ラストライブ
2003年1月22日
ユニバーサルミュージックジャパン リリース
ボーナストラック収録: 1973年収録TVK(テレビ神奈川)ヤングインパルスライブ映像
★「ファンキー・モンキー・ベイビー」 ※フル4人バージョン
★「憎いあの娘」※3人バージョン
  →燃えつきるキャロル・ラスト・ライブ  レーザーディスク紹介時のコメントはこちら

「ファンキー・モンキー・ベイビー」新作プロモクリップはさしたる映像ではないが、CDの初回特典スペシャルDVDとラストライブDVDのボーナス映像として合わせて3曲収録されているテレビ神奈川で放送されたライブ映像はかなり貴重だ。
1974年TVK(テレビ神奈川)ヤングインパルス放送の「ルイジアンナ」ライブ映像は、ジョニー大倉失踪中のキャロル3人バージョン。ジョニー大倉が失踪していた期間は、1973年の11月下旬頃から約1ヶ月〜2ヶ月ほどであったため、この「ルイジアンナ」のライブ映像はこの頃収録されたものであろう。1974年とクレジットされているがおそらく放送日表記と思われる。3人でもかなりのパフォーマンスを見せているが、キャロルは4人でこそキャロル。4分の3キャロルはやはり寂しい。
ラストライブDVDに収録されているボーナス映像の、同じく1973年収録のTVKヤングインパルス放送の「憎いあの娘」もキャロル3人バージョン。CDの初回特典スペシャルDVDに収録されている「ルイジアンナ」と同じ日に収録されたもののようだ。
特典映像唯一の4人キャロルはラストライブDVD収録のボーナス映像、73年「ファンキー・モンキー・ベイビー」のみ。チープな照明、観客のファッションが30年前の映像という事をはっきりと映し出しているが、逆に今見てもまったく違和感のないキャロルのパフォーマンスは凄い。

●1972年10月愛川欣也司会フジテレビ「リブ・ヤング!」のロキシー・パーティー(ロキシー・ファッション?)特集に出演し、一躍脚光を浴びたキャロルだが、内田裕也はキャロルのリハーサルを見てプロデューサー役を申し出ていた。ところが本番終了後、ミッキー・カーチスからも連絡が入り、キャロルはミッキー・カーチスを選択する。
ジョニー大倉の著書「キャロル夜明け前」によると、矢沢永吉がミッキー・カーチスを選択した理由は、内田裕也よりもミッキー・カーチスの方がレコードデビューまでの話がより具体的だったからという。
そして矢沢永吉は、内田裕也の元に行き土下座をして詫びた。(※実際には丁寧に詫びたという所が、誇張されて伝わっているようでもあります…。)
だが、永ちゃん、キャロルにとってこの選択はレコード会社と著しく不利益な契約を結ぶ事になるものだった。
ようやく掴んだチャンスに永ちゃんも必死だったのだろうが、この失敗が後の矢沢永吉の成りあがりにおける大きな原動力ともなるのだ。

矢沢永吉と内田裕也はその後、郡山の「ワンステップフェスティバル」にキャロルが出演する際の出演条件などでもめた。(※ヘリコプターで登場したいという矢沢永吉の無茶なリクエストなどがあったらしい。)
ちなみにデビューまもない頃のキャロルのドラマーは相原誠。後にダウンタウン・ブギウギ・バンドのドラマーとして復帰する。

●キャロルが初めてテレビ出演したといわれている「リブ・ヤング!」は本当に1972年(昭和47年)10月8日(日)だったのか?
KKベストセラーズ(ワニの本)「暴力青春 キャロル−最後の言葉」(1975年7月10日出版)、ジョニー大倉の著書「キャロル 夜明け前」にも「リブ・ヤング!」初出演の放送日時は1972年(昭和47年)10月8日(日)との記載があるが、実際に当日のテレビ欄を見ると、
1972年(昭和47年)10月8日(日)
読売新聞 PM4:15〜PM5:45
「リブ・ヤング!」
▽ミス・インターナショナル▽ミニ・コンサート【ゲスト】ガロ▽ビートルズ▽エルビス・プレスリー▽バギー特集 <画像クリックで拡大>
との放送内容となり、ロキシー・パーティー(ロキシー・ファッション?)特集は見当たらない。
そこで、1週前の10月1日(日)のテレビ欄を見ると下記の放送内容が確認できた。
1972年(昭和47年)10月1日(日)
読売新聞 PM4:15〜PM5:45
「リブ・ヤング!」
▽トラベル・ガール▽マイホームタウン(足利)▽都倉俊一▽ロキシー・パーティー【ゲスト】内田裕也 <画像クリックで拡大>
ジョニー大倉の著書「キャロル 夜明け前」で、ジョニーが「リブ・ヤング!」に応募したきっかけは“ロックンロール・パーティー、出演者募集”の告知で、当日は午後4時からの生番組だった事、内田裕也も出演していて、番組終了後、永ちゃんと内田裕也が何やらしゃべっていたとの記述があるので、10月1日(日)の放送内容に合致していると思うのだが、いかがだろう。
「キャロル」がテレビのブラウン管に初めて現れた記念すべき日は10月8日(日)ではなく10月1日(日)だったのではないだろうか?
もちろん当時はまったくの無名。当然テレビ欄にもキャロルの記述などはないが、ビデオなど存在しない時代のもはや伝説である。※ビデオデッキが一般家庭に普及し始めるのは1970年代後半。

個人的には10月1日(日)は日本テレビの裏番組、日曜映画劇場「ガメラ対バルゴン」(午後3時30分〜5時)を観ていたと思うので「リブ・ヤング!」は見ていない。また10月8日(日)だったとしても、同じく日本テレビの「兵隊やくざ・大脱走」(→詳細こちら)を見ていたはず。
なお、番組の後半に出演したという情報もあるので「ガメラ対バルゴン」終了後にチャンネルを回して見た可能性もあるがまったく記憶にない。
●1973年頃、当時の音楽雑誌ガッツにキャロルの特集があり、普段着ファションとしてダブダブのジーンズをはいている永ちゃんの写真や、ブルース・リーが着ていた衣装を再現してカンフーポーズを気取っているジョニー大倉の写真などが掲載されていたが、アイドルっぽい扱いで不良的なイメージを払拭しようとしての事かは定かではなかった。 また、「今一番やりたいことは何か?」という質問に、矢沢永吉が「ベースの練習」と答えていたのが印象的だった。
●1973年、TBSテレビ月曜から金曜まで午後5時より放送された、せんだみつお司会の生バラエティ番組「ぎんざNOW!」に週一の木曜日にレギュラー出演していたキャロル!
キャロルが出演する日は控え室にポマードの匂いが充満するので、あっ、今日はキャロルだな、とせんだみつお他スタッフがすぐにわかったというエピソードも残っているほどのぎとぎとリーゼントだった。
1973年(昭和48年)9月6日(木)
読売新聞 PM5:00〜PM5:30
TBSテレビ「ぎんざNOW!」キャロル
<画像クリックで拡大>
●東映映画「番格ロック」1973年(昭和48年)9月29日(土)公開
「仁義なき戦い 代理戦争」(→詳細こちら)との2本立て興行。
当時のメインは完全に「仁義なき戦い 代理戦争」で、「番格ロック」は単なる併映作品に過ぎなかったが、今ではキャロルが主題歌「番格ロックのテーマ」を歌い、劇中「ファンキー・モンキー・ベイビー」「ルイジアンナ」の2曲を演奏している映画として有名になってしまった。

2011年7月リリース予定だった「番格ロック」のDVDは残念ながら発売中止となり、東映チャンネルでも2007年12月、2009年10月を最後にプッツリと放映が無くなってしまった。ファンとしては残念でならない。

<画像クリックで拡大>
■1973年(昭和48年)9月30日(日)読売新聞 映画演劇案内 <画像クリックで全体>
●NHKドキュメント「キャロル」は1973年(昭和48年)10月20日土曜午後2時10分から(一説には1973年10月27日土曜午後4時から)放送されたといわれているが、実際には1973年(昭和48年)10月28日日曜午後4時からの放送となる。
これは「暴力青春 キャロル−最後の言葉」(1975年7月10日出版)に掲載されていた日時の誤りで、1973年10月20日(土)当日の朝日、読売新聞等のテレビ欄をみると午後2時10分からはプロ野球「中日対阪神」の放送となる。
ただし、当日は“【中止の時】キャロル”との記載がみられる事から、一応雨傘番組として放送予定だったのだ。
※この試合は中日球場で行われた「中日対阪神」(26回戦)で、阪神が勝つか引き分けでセ・リーグ優勝を決めるという試合。結果は阪神が負け、翌21日に行われた「阪神対巨人」最終戦で巨人が自力で9連覇を達成するというプロ野球史に残る試合であった。
1973年(昭和48年)10月20日(日) 読売新聞
PM2:10〜PM5:00 プロ野球▽中日対阪神
※1.40ヤングミュージック・ショーは、右の朝日新聞を見ると2.40の誤植という事がわかる。<画像クリックで拡大>
1973年(昭和48年)10月20日(日) 朝日新聞
PM2:10〜PM5:00 プロ野球「中日対阪神」
<画像クリックで拡大>
当然、試合は行われているので「キャロル」の放送は流れ、改めて翌週10月27日(土)午後4時からの放送となったというのが正確な所。
もともとはドキュメント「キャロル」の放送予定日だったが、プロ野球の優勝が決まる可能性のある試合が同日同時刻に行われる事になり、急遽差し替えられた。「暴力青春」はこの差し替えが決まる以前の何がしらかの放送予定資料から引用されたものではないかと推測する。
 
1973年(昭和48年)10月28日(日)読売新聞
PM4:00〜PM4:30 NHK「キャロル」
<画像クリックで拡大>
1973年(昭和48年)11月下旬に失踪したジョニー大倉なき後、しばらくの間3人で活動していたキャロルだが、行方のわからないジョニーに見切りをつけた矢沢永吉は、新メンバーとしてサミーを迎え、新生キャロルとしてスタートさせる事としたが…。
(※ジョニー大倉の失踪の原因はドラッグによる極度の鬱病とも、矢沢永吉との確執ともいわれている。)
当時の雑誌記事切抜きの紹介文には下記のような記載があった。
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「昨年の秋頃からジョニー・大倉が病気で3人で演奏していたキャロルだが、2月からジョニーに代わって、サイドに新メンバーとしてサミーが加入。新生なったキャロル、新曲「涙のテディ・ボーイ」で再度キャロル旋風を起こすか!」
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74年2月5日、矢沢永吉作詞・作曲の「涙のテディ・ボーイ」リリースに合わせての新生キャロルのスタートを告知する内容だ。
「ぎんざNOW!」出演時にも、病気のジョニー大倉に代わっての新メンバー、サミーとして紹介され演奏している。
しかし、2月中旬頃には、ジョニー大倉がキャロルに戻り、サミーはわずか約1ヶ月足らずで脱退する事となり、その存在すらも語られなくなってしまう。
(※矢沢永吉は失踪したジョニー大倉に対しプロ意識の欠如と考え怒りをあらわにしていたが、やはりキャロルにはジョニー大倉が必要と判断しカムバックを許す。)
その後サミーはジョニー大倉ソロ転向後のバンド、ジョニー&ダーリンのメンバー(ベース担当)として参加する事になる。
※以前、サミー大和と記載していましたが、グループサウンズ「ザ・クローズ」のサミー大和とは別人。キャロルのサミーは「乱魔堂」と「フライ」というバンドでベースを担当してた猿山幸夫さんです。(あるキャロル・マニア様よりご指摘受けました。2007.10.23加筆)
 
・新メンバーとして紹介されるサミー(1974年1月?)
  ・ジョニー&ダーリン(1976年)
●元NHKディレクター龍村仁監督によるATG映画「キャロル」1974年(昭和49年)6月22日公開
矢沢永吉いわく「僕らなりのハード・ディズ・ナイトを期待していたのに…」というガッカリ感の強いコメントがらわかる通り、ロックミュージシャンを撮った映画としては決して面白いものではない。
意味不明なシーンも多く、初めて観た時はかなり戸惑ったが、ファンにとってはキャロルの演奏シーンが観られるというそれだけで十分価値のある映画となる。キャロルのパフォーマンスには、それだけ人を惹きつける何かがあったという事だろう。
1974年(昭和49年)6月21日(金)
朝日新聞夕刊(写真左)
読売新聞夕刊(写真中)
毎日新聞夕刊(写真右)
<画像クリックで拡大>

■1974年(昭和49年)6月22日(土)読売新聞 映画演劇案内 <画像クリックで全体>
●1974年(昭和49年)8月10日 日本ロック史上に残るコンサート、郡山の「ワンステップフェスティバル」(福島県郡山市開成山公園)。内田裕也、小野洋子とプラスティック・オノ・スーパーバンド、上田正樹、安全バンド、イエロー、トランザム、かまやつひろし、クリエイション、加藤和彦、外道、四人囃子らといった日本ロック創生期の壮々たる出演メンバーの中でもキャロルの人気は一段と高かった。
小野洋子はトリの出演で、段ボール箱に入ったパンティを投げるなどのパフォーマンスで話題になったが、小野洋子の前の出演がキャロル。キャロルの出番が終わるとかなりの客がぞろぞろと帰ってしまった。当時、東のキャロル、西のファニカン(ファニー・カンパニー/桑名正博在籍)などとも呼ばれていた。
●1974年頃、コンサートに集まるファンが興奮してケンカを始めたり、 客席の椅子を壊したりといった騒ぎを起こすようになり、キャロルはコンサート会場を借してもらえないという新たな問題に直面する。
キャロルの人気が高まるにつれ、キャロルの暴力的・不良的なイメージのみが先行してしまい、矢沢永吉はステージ上から、客席に向って暴れないようにケンカをしないように、語りかけていた。その時の寂しげな表情は今でも忘れられない。
特に1974年7月17日の京都円山公園でのコンサートの騒乱が、大きな問題となり、ロックは不良か!といった論議とともに各メディアで取り上げられ社会問題にまでなった。しかし、逆をいえば日本のロックバンド「キャロル」が社会問題になるほどメジャーになったという証でもあった。
●1974年(昭和49年)10月9日(水)TBSテレビ夜8時から放送(収録は9月18日)された坂上二郎主演の刑事ドラマ「夜明けの刑事」第2話「キャロル知らないやつはおくれてる」にゲスト出演したキャロル!
1974年(昭和49年)10月9日(水)
読売新聞 PM8:00〜PM9:00
TBSテレビ「夜明けの刑事」
第2話「キャロル(を)知らないやつはおくれてる」※(を)は実際の映像にはない。
<画像クリックで拡大>
■テレビ欄コラム「わざとらしさ救うキャロルの演奏場面」
「丸出ダメ夫」や「飛び出せ!青春」に出演していた保積ペペ出演。
キャロルの生き方に憧れてロックミュージシャンを目指す若者が、殺人事件に巻き込まれ警察に追われるはめになってしまう。
ラスト、キャロルのコンサート会場にまぎれ込んだ若者。
“夜明けの刑事”達とともに、永ちゃんが隠れている若者に向かって、俺たちの仲間なら正々堂々と出て来いよとステージ上から語りかけ、諭すというストーリー展開なのだが、おそらくキャロル初のテレビドラマ出演。
人気絶頂だった当時の、キャロルの生ライブシーンが見られる貴重なテレビドラマである。未ビデオ化のまま、なかなか再放送される機会もなかったが2003年1月27日に衛星tbs channelにて放送された。


→夜明けの刑事「キャロル知らないやつはおくれてる」(2003.02.01加筆)
29年ぶりに再見!細部はほとんど忘れてしまっていたのだが、29年前の刑事ドラマ、それも大映テレビ制作だけあってドラマの内容は見ているこちらが、こっ恥ずかしくなるシーンがてんこもりだった…。
犯人は「モンキー」という仇名なのだが、殺人事件を目撃したキャロルファンのキャロリスト(なんだかな〜)天然パーマの無理矢理リーゼントの保積ペペは、「ファンキー・モンキー・ベイビー」を警察で唄いながら、この曲、何か関係あるな〜などと伏線ぶちかまし。
さらに追いつめられた後半、「ファンキー・モンキー・ベイビー」がかかっているレコードプレイヤーにぶつかり、レコード針が「モンキー…、モンキー…、モンキー…、」と飛びまくる。
ここで保積ペペ、彼方を見つめながら「そうだっ!」「モンキーだ!」 …って ようやくかい。。。
石立鉄男の思いっきりくさい芝居など、10年一昔というがこれはそれを遠く超えた29年前のドラマ。時代の流れというのは恐ろしいが、このドラマ部分だけでもある意味、価値があるように思う…。
で、肝心のキャロルの生ライブシーン。このドラマの為に収録されたもののようであったが、演奏は「ルイジアンナ」「ズッコケ娘」(ズッコケ=死語)「ヘイ・ママ・ロックン・ロ-ル」の3曲。ステージ登場シーンも収録されている若々しい4人の姿はかなりのお宝映像だ。
矢沢永吉のみに台詞があり他の3人にはない。当時のキャロルは矢沢永吉の強いリーダーシップによって成り立っていて、キャロルの顔といえば矢沢永吉であったということを強く感じる出演シーンである。
矢沢永吉の放送OKという許可は、このあたりの内容が大いに関係しているとも思われる。
新宿のライブハウス「怪人二十面相」でも演奏したキャロルだが、このライブハウス内の様子もドラマに登場する。
●キャロル解散後の1975年頃、フィリップスレコード・日本フォノグラムは「ルイジアンナ」と「ファンキー・モンキー・ベイビー」のアナログLPレコードのオリジナルジャケットデザインを変更して再発売した。矢沢永吉はこの事を知らず、オリジナルの旧盤をあたかも新しいレコードのようにジャケットを変更して発売したレコード会社に激怒。矢沢永吉はこの頃からキャロルや自身の著作権、肖像権に神経を尖らせるようになった
ラストライブの映像は、1975年(昭和50年)7月12日(土)TBSテレビの「特集ぎんざNOW!」という番組にて「グッドバイ・キャロル」というタイトルで放送された1時間のドキュメント映像(のちに再放送あり)が元となっている。
1975年(昭和50年)7月12日(土)10月9日(水)
読売新聞 PM4:00〜PM5:00
TBSテレビ 特集ぎんざNOW!
「グッドバイ・キャロル」
<画像クリックで拡大>
当日の産経新聞テレビ欄には、矢沢永吉の写真とともに「俺みたいな奴でも何か出来るという、ひとつの自信となった」という(リードギター内海利勝の)コメントが印象的だった、という内容のコラムが掲載されていたのだが、あいにく産経新聞は縮刷版を作っていないので当日のテレビ欄を確認する事はできない。
ちなみに朝日・読売・毎日新聞にはそのようなコラムの掲載はない。

このテレビ版にはキャロルの出演を待つ観客へのインタビューなどが収録されていたが、「涙のテディボーイ」と「やりきれない気持ち」は収録されていなかった。その後、このテレビ版に「涙のテディボーイ」と「やりきれない気持ち」を追加再編集したバージョンが、1984年4月13日にビデオ・LDとして発売されたラストライブとなる(今回DVD発売されたものと同じ)。「涙のテディボーイ」と「やりきれない気持ち」の映像は、後から追加されたものであるためか、他と比べて粗い。
この再編集されたラストライブの映像以外は今までに一度も見た事がないので、 ひょっとしたらテレビ放送用に編集された際に、追加された2曲以外の映像はすでに処分されてしまっていた可能性もあるが…。
 

1975年4月13日、雨の日比谷野音で行われた伝説の燃えつきるキャロル解散コンサート。 知られざるエピソードを一挙公開!
「燃えつきる=キャロル・ラスト・ライブ!1975 4.13.」
お蔵入りとなった別バージョンのレコードジャケット。
あの騒然としたコンサートに集まったファンは約7000人ともいわれている。
※日比谷野音は意外と狭く、3000人くらいしか収容できないと記載しておりましたが、日比谷野外音楽堂の当時の定員は、約6500人だったようです。ご指摘受けました。訂正してお詫びいたします…
このラストライブ映像にはキャロルの親衛隊でもあったクールスの岩城晃一、館ひろしらも登場、またコンサートの様子を撮影している若き日の加納典明も映っている。

時おりの小雨の中、朝から並び始めた行列は、あっという間に広がった。クールスの面々は並んでいるツッパリのお兄さん方に睨みをきかして「ちゃんと並べよ!おいっ」などと、行列を仕切っていた。

開場と同時に走りこんだファンの押し合いで、入口付近はかなり危険な状態になった。押しかけたファンの勢いでグニャッと曲がってしまったフェンスの金網、押しつぶされそうになった者の悲鳴…。新聞ネタにはならなかったが、数人はケガをした模様。

前座のトリは日本のビートルズと呼ばれた「バッド・ボーイズ」!ビートルズナンバーとともにハニー・エンジェルを演奏するなど、キャロルにも劣らない拍手と喝采を浴びた。
矢沢永吉はキャロル解散後、このバッド・ボーイズのジョン役のリッキーを新バンドのメンバーに引きこもうと声をかけたが、リッキーに断られた。同じくバッド・ボーイズのポール役の清水仁は、小田和正に誘われてオフコースのメンバーに入った。

ジョニー大倉のアコースティックギターをバックに、矢沢永吉がベースを弾かずピンスポのスタンドマイクで唄う「夏の終わり」だが、演奏終了後、ジョニーがそのアコースティックギターを観客席に放り投げた為、一瞬場内はワーッとパニックになった。
しかし、その後そのギターはスタッフにより、ちゃんと持ち帰られたのであった…。
キャロルはコンサートの最後の曲が終わると、よくピックを観客席に投げたが、これはスタッフは取りに来ないので持ち帰りOKであった。

キャロル登場とともに、ステージ前の階段を駆けのぼった観客の影響で、日比谷野音のステージは通常の3分の1の狭さになってしまった。
アンコール前の場内アナウンスではステージ下まで降りていただかないと、キャロルは再び登場しませんと、何度も要請(レコードでは館ひろしの呼びかけも収録されている)。
ようやく観客がステージを降りてアンコールが開始されたが、ライブ映像1曲目に収録されているアンコール前のラストの曲「ルイジアンナ」と、アンコール後の「エニタイム・ウーマン」「ファンキー・モンキー・ベイビー」とでは、ステージ上の広さが違うのはその為である。
アンコール前に何度もステージ下まで降りろと要請したのは、おそらく爆竹の演出を考慮しての事と思われるが、体に爆竹を巻いてステージに登場した事もある矢沢永吉。しかもその爆竹の量が多すぎたため死にそうになったなどというとんでもないエピソードも残っている。

ちなみにジョニ−大倉は、キャロル時代に自己陶酔のあまり失神してしまうという往年のGS的な演出をステージ上に取り入れていたが、ソロ転向時代には、ステージ脇から飛び出してきた暴漢に刺され、そのままステージ上から消えて行きコンサートが終わるといった日活アクション映画風な演出もあった。

ライブ1曲目の「ファンキー・モンキー・ベイビー」はリードギターのウッちゃんのアンプから音がでなくなるトラブルがあった。
その為かどうかわからないが、アンコールにもう一度演奏している。

アンコール終了後、演出用の爆竹が元でステージが火事になり、結果的にまさに燃えつきるという有名な伝説として残ったが、火が燃え上がった瞬間、キャ〜という声とともに「あったか〜い」などという不謹慎な声もあがった。小雨の4月、寒かったから無理もないが…。

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と、まあ、いろいろと思いつくまま書いてしまいましたが、お楽しみいただけましたでしょうか?
なにぶん記憶をたどりつつの事ですので、もし間違っていましたらご容赦ください。また、ふと思い出すような事がありましたら、加筆していきたいと思っております。
それでは「緊急電話」に収録されている、矢沢永吉の逆回転メッセージを聞いたキャロルファンの皆様、長文をお読みいただきありがとうございました。

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